ケベック協定とチューブ・アロイズ

「ケベック協定」は1943年8月19日に結ばれることになりますが、場所はカナダのケベック・シティーです。正式な協定のタイトルは、"Articles of Agreement governing collaboration between the authorities of the U.S.A. and UK in the matter of Tube Alloys":『チューブ・アロイズに関するアメリカとイギリスの政府間の共同管理に関する協定文章』です。

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ケベック協定

ケベック・シティーでの会談を機会に、チャーチル首相とルーズベルト大統領によって調印されました。この調印の結果、イギリスはすべての手元にあるすべての資材をアメリカに送ります。そしてイギリスはその見返りに、ルーズベルト大統領へ提出されている「核の原爆について」のアメリカ進捗報告のコピーを受け取りました。イギリスの核開発研究は第二次世界大戦が終了するまでマンハッタン計画と統合されることになり、イギリスとカナダの研究者のチームはすべてアメリカに移動しました。

ケベック協定の同意内容

  • この兵器を我々はお互いに対して、決して使用しない。
  • この兵器を我々を第三の勢力に対して使用する際に、お互いの同意なく使用はしない。
  • お互いの同意もないまま、チューブ・アロイズに関する情報を第三者に対して公表することはない。

このような合意がなされていますが、第二次世界大戦が終わった後イギリスは核爆弾についての情報の共有をそのまま引き継ぐものだと思っていました。「チューブ・アロイズ」から始まった核爆弾についての研究から、マンハッタン計画に引き継がれていたのでイギリスも開発を一緒に行ったものだと思って当然です。ところが、戦争が終わりアメリカ政府の政権も変わりトルーマン政権になって、マク・マホン法が1946年8月に通りますが、この内容はイギリスがアメリカの原子力研究にアクセスすることができない。それどころかイギリスが今までの原子力研究にアクセスすることも許さないといった内容になり、世界の中でイギリス自身が発言力と力を持つために、やはり核を持つしかないという決定が下されイギリス独自で核兵器開発を進めることになり、核兵器を保有するようになりました。

チューブ・アロイズ

ケベック協定の中にある「チューブ・アロイズ」は何のことを指しているのかというと、第二次世界大戦の後期に「チューブ・アロイズ」は元素プルトニウムを指すようになりました。そして元素プルトニウムの存在は、長崎へ原爆が投下されるまで存在は極秘になっていました。もともとは核兵器開発計画のコードネームでしたが、着実にそして驚くべきスピードで核爆弾の開発が進みコードネームから、核爆弾のもとになる元素プルトニウムを指すようになりました。プルトニウム・・・核爆弾の開発にかかせないプルトニウムですが、このプルトニウムの研究が一気に進展したのも元はといえば、アメリカではなくイギリスです。

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ケンブリッジの研究所

元々は、フランスとドイツで始まった核兵器開発計画「チューブ・アロイズ」でしたが、ケンブリッジ大学にある核物理学のメッカともいわれる「キャヴェンディッシュ研究所」の存在が大きいといえるでしょう。

ケンブリッジ大学の研究所にあるキャヴェンディッシュ研究所で、エゴン・ブレッチャーとノーマン・フェザーの研究者達が、ウランを燃料とする遅い中性子の原子炉が理論的にかなりの量の「プルトニウム239」を、副産物として作り出すことに気がつきました。

まず「ウラン238」が遅い中性子を吸収して、そして新たな同位体の「ウラン239」を作ります。そして新しくできた同位体は、すぐ電子を放出してベータ崩壊します。そして239の質量を持ちながら、原子番号93の新しい元素となります。この元素の原子核は、同じく電子を放出して、原子番号94で質量239の大きな半減期をもっている新しい元素になります。エゴン・ブレッチャーとノーマン・フェザーは原子番号94の元素が、低速中性子と高速中性子の両方で核反応を起こすことは、ウランとは科学的に異なった利点があって、簡単に分離することができる、と言う理論的な実現可能性を示しました。

そしてケンブリッジのカンマー博士は、新しい元素に名前をつけますが93番目をneptunium:ネプリウム、94番目をplutonium:プルトニウムと名付けますが、偶然にもアメリカ人科学者たちから出た名前も同じ名前でした。一番最初のプルトニウムの作成は、1941年アメリカの物理学者のグレン・シーボーグ博士によって原子炉ではなく、サイクロトロンで作成と検証が行われました。

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