アメリカの核開発1943年・1944年

多くの科学者たちが集まっているロスアラモスの研究所の他にも、多くの施設がマンハッタン計画に参加しています。シカゴ大学で極秘裏の中で作られた原子炉のシカゴ・パイル1号もそうですが、シカゴ大学治金研究所や、カルフォルニア大学バークレー校など、そしてアメリカ以外ではカナダのモントリオール大学もマンハッタン計画に参加しています。参加しているのが他に民間の大企業も加わり、総合家電メーカーのウェスティングハウス・エレクトリック、現在世界最大の複合企業のゼネラル・エレクトリック、化学会社のデュポンなどもそうです。デュポンは、オークリッジ国立研究所でウラニウムの分離・精製やプルトニウムを製造するなどにも加わっています。マンハッタン計画には、当時の額面で19億ドルという多額の資金が投入され、さらに計画は進んでいきます。

1943年と1944年

サイトXと名付けられたオークリッジの施設ですが、オークリッジではウラン濃縮のための巨大電磁工場の建設がはじまります。ナチス・ドイツがヨーロッパで降伏するのは1945年5月のことですが、1943年1945年と巨額な費用が投入され、また極秘裏に開発が進められていため、情報の隔離が徹底されていました。別の場所がどんな研究をしているのか、一切の内容が伝えられることもなく、個々の科学者に与える情報はそれぞれ個別の担当分野だけに限定していたため、全体像を知ることができたのはマンハッタン計画の上層部だけでした。

マンハッタン計画の責任者レズリー・リチャード・グローヴス准将がとった方針ですが、自由な研究を求める科学者からの反発もありましたが、そのような声は無視され徹底した秘密主義でマンハッタン計画は進んでいきます。

どうせ見るならドキュメンタリー

1943年

  • 2月18日・・・ オークリッジでY-12工場の建設が開始されました。この工場はウラン濃縮のための巨大電磁分離工場です。
  • 4月5日から14日・・・ロスアラモスで秘密の紹介講義が開始されました。そしてこの講義は後に、ロスアラモスプライマーとして編集されました。
  • 4月20日・・・ カリフォルニア大学が、正式にロスアラモス国立研究所の運営者となりました。
  • 8月19日・・・ アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・チャーチル首相がケベック協定に署名します。イギリス人科学者チームがマンハッタン計画に合流することになりました。
  • 10月4日・・・ ハンフォード・サイトでプルトニウム生産のための原子炉の建設が開始されました。
  • 10月・・・プロジェクトW-47これは、後にプロジェクトアルベルタと呼ばれる原爆運搬計画が開始されました。

ハンフォード工場

マンハッタン計画で始り、すぐに取得したのがオークリッジですが核爆弾の研究が進むにつれてプルトニウムの生産場所が必要となりました。オークリッジはプルトニウムを生産する場所とするのには、適さない場所でした。どうしてかというと、人口密集地のノックスヴィルにオークリッジは近いからです。もしも予測しない事故が起きてしまった時に、市街地へ放射性物質が降り注ぐのはあまりも危険だと判断されたからです。

そこで、マンハッタン計画の責任者のグローヴズ准将は、マンハッタン計画に参加している民間のデュポン社の民間技術者を雇用しますが、民間技術者が新しい場所の建設監督にします。そしてプルトニウム工場用地を管理する将校とデュポン社の民間技術者を一緒に、プルトニウムを生産するための土地の査定を行わせます。

プルトニウムを生産するためには、多量の水と電気が必要になります。そのような事を踏まえて、候補としてあがったのがワシントン州南央のコロンビア川沿いにある盆地です。1943年1月末に20万ヘクタールが510万ドルで取得されることになりました。

そして取得した盆地は、ハンフォード技術工場:Hanford Engineer Works(略称HEW)と名付けられました。そしてこの場所は後に、アメリカで最大級の核廃棄物問題の場所となりますが、ハンフォード技術工場「サイトW」というコードネームがつけられました。ハンフォード技術工場の建設に当たった労働者ですが、最終的には5000人にのぼるとされています。この盆地を取得するに当たって、アメリカ陸軍による地主に対して農作物に対する補償額が争点となったことから、土地の取得計画はかなり難航したため一部の土地は、第二次世界大戦が終わった後にマンハッタン計画が終了まで、一部の土地を取得することは完了しませんでした。

原爆について

1944年

  • 4月5日・・・ロスアラモスで、マンハッタン計画のグループリーダーとして働くエミリオ・セグレ博士の元に、オークリッジの原子炉で生産されたプルトニウムを受け取ります。受け取りから10日以内にプルトニウムは核兵器の初期の段階からあるガンバレル型構造の原爆に使用するのは不適当だとなりました。
  • 7月4日・・・ オッペンハイマーはセグレの最終調査を検査します。その結果ガンタイプのプルトニウム原爆"シンマン"の開発を止めることになりこれから先は爆縮方式での原爆の開発が最優先事項となりました。
  • 7月20日・・・4日に決定した爆縮方式での開発するため、ロスアラモスの組織体制を刷新します。
  • 9月2日・・・フィラデルフィア海軍造船所内にある核プラントの爆発事故が起こり2人の化学者が死亡したほか、数名が負傷するという事故が発生しました。
  • 12月9日・・・原爆投下部隊の第509混成部隊が組織されました。
  • 12月中旬・・・長崎市に投下された核兵器「ファットマン」の、爆縮レンズの実験に成功します。爆縮レンズは爆薬だけで2.5トンもあり「ファットマン」の重量・体積の半分以上を占める最大の部品です。

核のおそろしさ

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ドキュメンタリー映画『カウントダウンZERO』と、核開発の歴史を考える